古代ギリシャの歴史家・ヘロドトスは著書『歴史』の中で
「自尊心は愚者の持物なり」と述べている。
また、フランスの思想家・ヴォルテールは、
「自尊心とは空気でふくらませた風船玉である。ちょっと突いても炸裂して風になってしまう」と言っている。
自尊心を英語ではself-respectと言い、またprideという意味も持っている。
カタカナ語の「プライド」には誇り、自尊心、自負心といった意味合いがある。
いっぽう英語のprideには、うぬぼれ、思い上がり、優越感、高慢、横柄、自負、自慢といった意味があり、あんまり良い意味とは言えませんね。上の二つの言はprideを指して言っているように思えるのである。
ヴォルテールはさらに述べている。
「途方もなく大きなプライドを、とんでもなくケチな人間が持っている」と。
さて、イギリスの教育家、ジョン・C・コリンズ(1848〜1909)はその著『警句』の中で、「自尊心は美徳ではないとしても、それは多くの美徳の両親である。」と微妙な発言をしている。
いずれにしても「自尊心」の扱いにはもやっとしたものを感じる。
そして最近、野口嘉則著『3つの真実』に出会った。
「ここで言う自尊心とは、自分のことを価値ある存在として認め、尊重し、信頼する心じゃ。この自尊心を自分で満たせない者は、その不足分を、他人から認められることで補おうとする。しかしこれでは、人からの評価に依存することになってしまい、人から認められなくなることへの怖れがつきまとう。逆に自尊心を自分で満たすことができたら、人からの評価を恐れなくてすむというわけじゃ」
(野口嘉則『3つの真実』p.82)
「われわれの最大の価値は、取った行動や出した結果にあるのではなく、存在することにあるのじゃ。これに本当に気づくとき、自尊心は満たされてゆく」
(野口嘉則『3つの真実』p.91)
実に核心を突いた言である。『3つの真実』では、生き方に結びつけた「自尊心」がいかに大事であるかを、明確に述べている。このほかにも従来の枝葉の言を吹き飛ばしてくれる言葉にあふれており、座右の書になりそうである。

「自尊心は愚者の持物なり」と述べている。
また、フランスの思想家・ヴォルテールは、
「自尊心とは空気でふくらませた風船玉である。ちょっと突いても炸裂して風になってしまう」と言っている。
自尊心を英語ではself-respectと言い、またprideという意味も持っている。
カタカナ語の「プライド」には誇り、自尊心、自負心といった意味合いがある。
いっぽう英語のprideには、うぬぼれ、思い上がり、優越感、高慢、横柄、自負、自慢といった意味があり、あんまり良い意味とは言えませんね。上の二つの言はprideを指して言っているように思えるのである。
ヴォルテールはさらに述べている。
「途方もなく大きなプライドを、とんでもなくケチな人間が持っている」と。
さて、イギリスの教育家、ジョン・C・コリンズ(1848〜1909)はその著『警句』の中で、「自尊心は美徳ではないとしても、それは多くの美徳の両親である。」と微妙な発言をしている。
いずれにしても「自尊心」の扱いにはもやっとしたものを感じる。
そして最近、野口嘉則著『3つの真実』に出会った。
「ここで言う自尊心とは、自分のことを価値ある存在として認め、尊重し、信頼する心じゃ。この自尊心を自分で満たせない者は、その不足分を、他人から認められることで補おうとする。しかしこれでは、人からの評価に依存することになってしまい、人から認められなくなることへの怖れがつきまとう。逆に自尊心を自分で満たすことができたら、人からの評価を恐れなくてすむというわけじゃ」
(野口嘉則『3つの真実』p.82)
「われわれの最大の価値は、取った行動や出した結果にあるのではなく、存在することにあるのじゃ。これに本当に気づくとき、自尊心は満たされてゆく」
(野口嘉則『3つの真実』p.91)
実に核心を突いた言である。『3つの真実』では、生き方に結びつけた「自尊心」がいかに大事であるかを、明確に述べている。このほかにも従来の枝葉の言を吹き飛ばしてくれる言葉にあふれており、座右の書になりそうである。

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